ひたちなか市の名称選定理由

 
2024年はひたちなか市30周年となる記念の年。なので「勝田市那珂湊市合併の記録」中「合併申請関係書類」から名称がひたちなか市となった理由を抜粋しました。

ひたちなか市市章

以下引用。

1 新市名及び名称選定の理由

(1)新市の名称

ひたちなか市」とする。

(2)名称選定の理由

勝田市及び那珂湊市域は、北は久慈川に南は那珂川に挟まれ、東は望洋たる太平洋に面した那珂台地の上に位置し、古くから生活圏や経済圏において密接な関係を保ちながら、発展してきた。両市ともかつては常陸国那珂郡に属し、明治22年の市制町村制施行以来、数多くの廃置分合を重ね、昭和29年の市制施行を経て現在に至っている。

合併後の新市においてその大部分を占める1,182haに及ぶ広大な国有地(常陸那珂地区)では現在、常陸那珂港の建設、国営ひたち海浜公園整備、工業団地造成、区画整理事業など大規模な事業が着々と進められており、21世紀をリードする国際港湾公園都市の中心地として大きな変貌を遂げてきている。

この常陸那珂地区開発は、新市はもとより茨城県及び北関東地域の発展にとって極めて重要なプロジェクトとなっており、福祉の向上や産業経済の活性化等、地域社会のあらゆる面に対して大きなインパクトを与えるものである。

このように21世紀を展望した国際都市、中核都市として将来の発展が期待される新市にふさわしい名称として、

  • 常陸国那珂郡という由緒ある歴史を共有していること

  • 国際港湾である常陸那珂港を有する常陸那珂地区を中心として、輝かしい未来へ発展する期待がこめられていること

  • 市名をひらがなにすることにより、親しみ易く書き易いこと

などの理由により「ひたちなか市」を新市の名称とするものである。

2 新市の事務所の位置及び選定の理由

(1)事務所の位置

現在の勝田市役所の位置とする。勝田市東石川2丁目10番1号

(2)支所の位置

現在の那珂湊市役所の位置を那珂湊支所とする。那珂湊市和田町2丁目12番1号

(3)選定の理由

新市の行政事務に対応するため、新市の行政区域の現状の検討と現在の勝田市及び那珂湊市の庁舎の規模の比較を行い、新市のほぼ中央に位置し、かつ施設規模の大きい勝田市庁舎に事務所を置くものである。

3 合併予定年月日

平成6年11月1日とする。

4 廃置分合を必要とした理由

(1)位置と地勢

勝田市那珂湊市(以下「2市」という。)は、東京から約100kmの県央に位置し、西は常磐自動車道那珂ICのある那珂町に、北は原子力のメッカ東海村に、南は那珂川を挟んで県都水戸市大洗町に、東側は13kmの海岸線を有して太平洋に面している。

市域の大部分は、海抜約21mから35mで、台地では都市化が進行し、市街地の周辺は畑地や山林になっている。また、那珂台地を中小河川がくさび状に入り込んで流れており、この下流地域と那珂川沿岸は海抜7m程度の水田地帯となっている。

(2)人口と面積

平成2年の国勢調査による総人口は142、402人(昭和60年から年平均1、325人の増)、世帯数は44、682世帯となっている。

就業者人口は、第1次産業5.2%、第2次産業41.3%、第3次産業53.1%となっており、年々、第1次産業の減少と第2次及び第3次産業の増加傾向がうかがえ、特に、第3次産業の増加が顕著である。また、2市の面積は98.99km2で、田畑37.2%と宅地22.2%とで約6割を占めている。

(3)2市の沿革

勝田市は、昭和29年3月30日に前渡村が勝田町に合併し、同年11月1日に佐野村が勝田町に合併して誕生した市である。

那珂湊市は、昭和29年3月30日に那珂湊町が前渡村の一部と合併し、同月31日に平磯町と合併して誕生した市である。

その後、昭和32年12月1日には勝田市の三反田の一部(現在の那珂湊市美田多地区)が那珂湊市編入し、現在の行政区域になっている。

(4)2市の現況

現在の2市住民の生活及び交流の状況をみると、交通基盤の整備については、鉄道では茨城交通湊線、道路では国道245号線や県道那珂湊那珂線及び主要市道が2市を連絡し、地域住民の交流や物流を支えている。

住民の日常生活面においては、勝田市への市外からの通勤、通学者は1日25、000人(平成2年国勢調査)を超え、うち那珂湊市の住民が9.7%となっている。一方那珂湊市への市外からの通勤、通学者は1日約3,700人で、うち勝田市の住民が34.7%を占めている。

また、勝田市の中心商圏における利用客の状況を見ると、那珂湊市に対しての商圏吸収率は36.7%(平成3年)となっており、2市の商業の結びつきは密接となっている。

さらに、行政面においても、公共下水道、農業共済、斎場等の業務について2市を含めた一部事務組合を設置、運営するとともに、隣接する東海村と共に2市1村行政連絡協議会を設置し、共通する行政課題に対処してきたところである。

(5)合併までの経緯

合併問題については、常陸那珂地区開発を踏まえた一体的なまちづくりの必要性などから市議会等から活発に提起され、平成3年10月に那珂湊市長から勝田市長及び東海村長に対して、合併に関する事務レベルの調査研究機関設置を提案したことが具体的な契機となった。

これを受けて、2市1村行政連絡協議会に合併研究会を設置し、この調査研究結果をもとに、平成4年11月の行政連絡協議会では、全会一致で合併の必要性は確認されたが、その際、任意合併協議会の設置については、東海村としては時期尚早として賛意が得られなかった。

このことから、2市先行合併が焦点となり、2市の市議会の合併問題に関する特別委員会から平成5年2月に「2市合併の任意協議会を設置すべきである。」という報告が出された。

こうした両市議会の意向に加えて、2市の社会的経済的活動における一体的な圏域の形成の必要性や常陸那珂地区開発への対応など、2市を取り巻く内外の諸情勢を踏まえ、2市の一体的な発展と市民福祉の一層の充実を図ることを前提として、平成5年4月に任意の合併協議会が設置された。

任意協議会は13回会議の会議を重ね、新市建設計画や合併に関する諸事項の調整方針を決定し、平成6年1月の最終会議で法定合併協議会を設置することを確認した。

これを受けて同年2月15日に法定の合併協議会を設置し、新市建設計画の作成と合併に関する協議を整え、同年9月合併協定の調印を経て合併申請の運びとなった。

(6)廃置分合を必要とした理由

2市は、次の4つの観点から、新しい時代の潮流の中で、21世紀を展望して、一体的な地域社会の発展を図り、関係住民の社会的便益の享受と福祉の向上に寄与するとともに、茨城県や北関東の発展に貢献するリーディング都市の形成を目指すために、ここに関係住民の意思により、2市が対等の立場に立って合併を実施し、市制を施行しようとするものである。

生活圏の一体化に伴う対応

2市は、市民の日常生活を始めとして社会的経済的活動においても歴史的に深いつながりを有しており、近年のモータリゼイションの進展や交通通信網の発達等に伴い、ますますこの傾向を強め、一体的な圏域を形成してきている。

このため、行政においても従来の行政区域を超えた広域的な対応が強く求められてきており、既に行政連絡協議会や一部事務組合を設置して、積極的に広域行政を推進しているところである。

今後、さらに常陸那珂地区開発の影響により、都市基盤や生活環境教育、福祉、産業などの市民生活を取り巻く分野においても、ますます広域的な取組みが必要になってきている。

このようなことから、市民生活の密接なつながりを背景として、2市が一体の都市として市民の行政需要に的確に対応するよう効率的な行財政運営に努め、市民生活の質的向上を図ることが求められているところである。

常陸那珂地区開発を踏まえた一体的まちづくりへの対応 

2市の将来のまちづくりに大きなかかわりのある常陸那珂地区(面積1、182ha2市で区域の93.8パーセントを占める。)は、ビジネス・アンド・プレジャーの実現できる国際港湾公園都市の中心地区の形成を目指して、現在、北関東地域の新たな物流拠点となる常陸那珂港や首都圏最大の緑のオアシスとなる国営常陸海浜公園の整備、さらに工業団地造成事業が進められており、また土地利用が留保されている国有地では、国際港湾公園都市にふさわしい機能を誘導するために土地区画整理事業が行われている。

この常陸那珂地区開発は、2市はもとより茨城県及び北関東地域の発展にとって極めて重要なプロジェクトであり、北関東自動車道の整備と相まって、21世紀には2市の区域に首都圏、北関東地域から人、物、情報、資本の集積することが想定されている。

このように地域社会に対して大きな経済的インパクトを与える常陸那珂地区開発を、より一層促進するとともに、推進体制の確立、周辺地域の一体的な整備、開発に伴う経済効果の平等な享受等を図るために、2市が一体の都市として取り組むことが求められているところである。

北関東地域の中核都市の形成に向けた対応 

豊かな水や土地などの資源に恵まれ、高い開発可能性を有する北関東地域は、高速交通情報化時代を迎え、東京圏からの至近性から新たな発展段階に入っている。

特に、茨城県は、県北地域における既存の工業や原子力施設に加え、常陸那珂地区開発や鹿島臨海工業地帯、筑波研究学園都市の整備により、三つの拠点を中心としたテクノリンケージの形成が進みつつあり21世紀のわが国の発展に貢献するリーディング県に成長してきている。

このような状況のもと、2市の区域では、常陸那珂地区開発が進められてきており、特に、常陸那珂港北関東自動車道の整備により、北関東地域の玄関になることが見込まれている。

このことから、2市としては、都市規模を拡大して都市基盤の整備と都市機能の集積を図り、茨城県や北関東地域の発展に貢献する北関東地域の中核都市の形成を目指すことが必要になっているところである。

時代の潮流への対応

21世紀を間近に控えて、近年の社会経済情勢は、高齢化、国際化、情報化の進展など、かつてわが国が経験したことがないほど大きく変化してきている。

また、余暇時間の増加や、物の豊かさから心の豊かさを求める意識が高まるなど、個人の価値観が多様化、高度化しており、行政においてもこれらへの的確な対応が求められている。

このような時代の潮流を踏まえてまちづくりを進めるためには、将来、進むべき道すじとして長期的な目標を掲げ、すべての施策の面で有機的連携を図りながら、住民と行政が一体となって新たなシステムを構築し、施策を展開することが重要な課題となっている。

このことから、2市としては、都市規模と行財政能力を拡充して、時代の潮流に的確に対応するためにも合併が必要になっているところである。
以上。

勝田市那珂湊市合併の記録(平成7年3月1日発行)