湊公園の松は須磨明石から移植された?

湊公園の松

ひょんなことから「湊公園にある松が須磨明石から来たことをしめす一次資料」を探し始めました。
湊公園にある看板の説明には

当公園の十二株の黒松は、元禄十一年(一六九八)、水戸徳川家二代藩主光圀が、い賓閣の竣工に際し、須磨明石より取り寄せ、植えたものといわれている。
 樹齢三百年近くの見事な枝振りの老松で、元治甲子の乱(天狗・諸生の戦い、一八六四)の兵火にも難を免れて、数個の庭石とともに焼け残ったものである。
 往時は代々の藩主が当地を訪れ、松の間に、はるか洋上の月を見ながら、酒宴や詩歌の会が催されたという。
 特に九代藩主斉昭は、「反射炉」「水車場」の建設「水門の帰帆」「観濤所」の建碑等、那珂湊と深い関わりを持ち、たびたび訪れている。
 明治三十年、当地を湊公園として開園し、以来、松の公園として市民に親しまれている。
 県内で名木といわれた松が少なくなった今、当公園の松は、樹形、風格に優れ、歴史的にも貴重である。

昭和六十三年三月 那珂湊市教育委員会文化財保護審議会

と書いてありますが、はて、一次資料はとネット上で探してみました。
国会図書館デジタルコレクションから見つけることができた関連資料は次のとおり。

  • 1901年『茨城県案内』河原井七之助

    • 「園は市街の製法に在るの高丘にして満場の芝生に蟠屈せる老松あり」

  • 1902年『團團珍聞』珍聞館

    • 「芝生と老松の雅至で中央新聞十六勝地の一に選ばれた湊公園」

  • 1906年『湊郷土資料』坂本力之介

    • 「数十の松は窺う義公の植えしものにて千古を」

  • 1914年『水戸市商工要覧』水戸商業会議所編

    • 「い賓閣と名く、今水門公園たり、義公手栽の松、園中に盤桓し」

  • 1928年『湊町発達史』国井通太郎

    • 「園内にはい賓閣当時の松多くあり、風雅にして愛すべきものである、これは烈公が須磨明石の地方より移植したものであると言い伝えられている」

  • 1933年『水戸藩と那珂湊』大内義比 講述

    • 「殊に名物の松は義公が播州から苗を取り寄せて植えられたと聞いています」

  • 1958年『茨城県市町村合併史』茨城県総務部地方課

    • 「水戸義公のい賓閣を設けた遺跡である。園内の奇松は義公が播州明石より移植したものと伝えられ」

  • 1959年『観光お国めぐり』13国土地理協会

    • 「園内は老松が多く、その風雅はさすがに烈公が遠く須磨・明石の景勝地から移植したといわれるだけあって」

  • 1974年『那珂湊の歴史』佐藤次男

    • 光圀が須磨明石の松を移植したと伝える名松を保存し、かつ松木の絶えるのも防ぐために松の実をとり、公園内に移植したのは昭和6年のことであり、花見の宴さえ催された五十余本の桜木を、「松の公園」の特徴を損傷する恐れがあるとしてあえて伐採したのは昭和10年のことであった」

  • 1984年『元治元年』下の2(那珂湊大戦の終末)関山豊正

    • 「今は往時をしのぶよすがとして兵庫の須磨明石から苗木を取り寄せ植樹したという高砂の松にも似た十株程の老樹と当時の庭園にあった大きな庭石が数個残っているに過ぎません」

「須磨明石」から移植されたことが初出されたと思われるのは1928年『湊町発達史』。ここでは烈公となっています。
義公となったのは1933年『水戸藩と那珂湊』。その後も烈公と紹介されている記事もあり、なにやら情報源が不確かなまま記事にしている印象があります。

天狗党の乱で燃えてしまったい賓閣あとに作った湊公園を有名にしようと、もっともらしい伝説を作りあげたような印象がありますが、もし、水戸藩と明石藩で松の取引があったなど一次資料をご存じの方がいらっしゃれば、ぜひご一報いただけると幸いです。

クラウドファンディングで手に入れたDJシステム

ミューシグナル社がクラウドファンディングしていたポータブルDJシステム「FJ1」が届きました。

いきなりファームウェアをインストールすることから始まるのは少々驚きましたが、無事に起動してくれました。
自分の用途は継ぎ目なく再生でればいいので、高機能すぎるとも思いましたが、炎天下で再生することもあるので思いきって入手しました。以前iPadでオーバーヒートして再生がストップしたことがあったもので…。

内蔵スピーカーがあるのも便利です。

いつか実写で


www.youtube.com

中高生ボランティアグループのひたちなかリーダーズクラブコンセプトムービーを作成しました。

小さい頃に中高生にあこがれて、自分が中高生になって子どもたちのボランティアをしていくという、循環をキーワードにしたコンセプトです。

動画はAdobeの生成AIで2本作ってつなぎ合わせました。

いつか本物の人間で作ってみたいものです。

クラウドファンディング成功おめでとうございます

ひょんなことから2025年2月につながりができた一般社団法人地域・社会子育て若者支援が運営する「学校に行かなくても経験が積める!希空高等学院を広めたい!」のクラウドファンディングに協力しました。

見事目標額を達成したとのことで、お礼状が届きました。おめでとうございます!
これからの活躍をお祈りいたします。

送られたパンフ

 

2017年にインターネット配信番組を制作していた

note.com

記事にも書きましたが、葬送のフリーレンにハイターがフェルンに話したセリフ「…大人しく余生を過ごそうと思っていたのですが、あるときふと気が付いてしまいまして。私がこのまま死んだら、彼から学んだ勇気や意志や友情や、大切な思い出までこの世から無くなってしまうのではないかと。」に触発されて
、制作に携わった者として「これからHi-Live!」の活動を記しました。