その昔ひたちなか市にも艦砲射撃による戦災があった_1

ひたちなか市は1945年7月17~18日にかけて小雨降る真夜中に艦砲射撃による攻撃を受けました。
7月14日に岩手県釜石市を攻撃したアメリカ艦隊は、南下して日立市ひたちなか市の軍需工場に砲弾を撃ち込みました。その大半が目標を外れて市街地に落ち、多くの死傷者が出ました。
そうした記憶が薄れていく中、その記録を掲載していきます。

艦船砲撃調査団報告書(Report of Ships' Bombardment Survey Party Enclosure)

概要

日本の本州東海岸、東京の北東80マイルにある日立地区の選択された目標に対して、1945年7月17日から18日にかけてウィスコンシンミズーリアイオワノースカロライナアラバマアトランタ、デイトン、および9機の駆逐艦からなる任務部隊34.8.2が砲撃した。駆逐艦は砲撃しなかった。
戦艦3隻が日立兵器工場に224発、戦艦2隻が日立製作所水戸工場に144発を撃ち込んだ。軽巡洋艦2隻は6インチHC弾292発をひたちなか市磯崎のレーダー局へ向けた。総発射数は16インチHC1,238発、6インチHC292発であった。
発射は23:14から00:11にかけて行われ、悪天候のため発射地点への接近時の正確な航行が妨げられ、飛行機によるスポットや照明の予定が立てられなかった。
砲撃の間、北方約6マイルで英国機動部隊が単独で行動していたが、この部隊に割り当てられた目標は不明である。日立の北約8マイルのこの付近で未確認の大口径弾丸の落下が発見されたので、日立製作所の高萩工場であったかもしれない。
日立地区は、6月10日の海岸工場へのB29集中攻撃、7月19日の市街地への焼夷弾攻撃、7月26日の銅精錬所への超大型爆弾投下を含むいくつかの小空襲の影響を受けている。日立の南方約20マイルの水戸は、8月1日の焼夷弾による空襲でほぼ完全に破壊された。
(略)

日立製作所水戸工場の南側には兵器精密機器課があり、ターゲット情報では隣接する日立兵器の一部と誤って指定されていた。水戸工場では電気機関車、単装砲、単装砲用コンピュータおよび電気照準器、カタパルト、ロケット、爆弾、特殊鋼などを生産した。1942年以前は工場のキャパシティが生産の限界だった。1942年、熟練労働者の入手が困難になり始めた。1945年初めにはコークスと合金鉄の供給が危うくなったが、それ以上に重要なのは熟練労働者の不足、労働者の勤怠と効率の低下、停電の制限による工場効率の低下でこの時点で生産を制限していた。
地上砲撃では、144発の弾丸の標的であったはずの工場の中央部と北部の工場境界に弾丸は落ちなかった。日立兵器として発射艦に指定され、224発の弾丸が向けられた兵器精密機器課の境界内には11発の弾丸が落下していることは前述した。2発が建物に命中しニアミスで様々な被害が発生した。工場外の住宅地では35棟が倒壊し、その他多数の建物が損壊した。
砲撃を受けなかった日立製作所水戸工場の中・北部では、砲撃と8月1日の焼夷弾攻撃による労働者の士気の低下と、焼夷弾攻撃による住宅不足の累積により、生産停止となった。精密機器・兵器課は砲撃のため生産停止。もし戦争が続き、水戸への空襲がなかったとしたら、ここでの生産損失は、攻撃前の生産量で4ヶ月分以上と日本人は見積もっていた(当時、重連装砲の日本総生産量の1ヶ月分の少なくとも20%を含む)。
日立兵器では、92式、97式7.7mm機関銃、2式航空機用20mm機関銃、4式単三機関銃が生産された。1941年10月から1942年末までは生産スケジュールが達成されていた。1943年には工作機械が不足し、生産に支障をきたし、1944年と1945年には工作機械と熟練労働者の両方が不足し、さらに支障をきたした。戦争後期には一時的な生産停止や、外部から受け取る鍛造品やその他の部品の受領の遅れによって、生産が頻繁に中断された。1945年6月10日の海岸工場への空襲の後、直ちに分散計画が開始され、分散された機器について3ヶ月の間に約75%の生産損失をもたらすと予想された。地表からの爆撃では、60発の弾丸が工場敷地内に落下し、うち7割が建物に命中した。64棟のうち、4棟が破壊され、1棟が損傷により解体され、14棟が損傷した。工作機械の約20%が破壊または破損したが、破損していない工具の多くは訓練にしか使えないので、これは生産に使える工具の約40%に相当する。92式機関銃の生産は地表からの砲撃を受けて停止したため、新しい場所での生産開始が少なくとも2ヶ月遅れ、破壊された工具に代わる新しいドリルプレスを入手できない限り、生産は約80%に制限されることになったであろう。
4式機関銃の生産は砲撃により完全に停止し、戦争が続いていたならば、1946年1月1日頃までに分散前の生産量の50%を達成することはできなかったであろう。砲撃による99式及び2式機関砲の生産損失は、分散前の生産量の約1ヶ月分に相当すると推定される。砲撃による物的損害は、日本側では総計33,163,631円のうち約18,000,000円と推定される。しかし、前者は再調達原価に基づくものであり、後者は減価償却費を控除した物的資産の総価値であると思われる。したがって、被害額の比率は、これらの数字が示すよりもかなり小さいといえる。

Report of Ships' Bombardment Survey Party Enclosure
国会図書館のデジタル資料からDeepLで翻訳・抜粋

着弾点